歴史
善勝寺の歩み
寺の開基
13世紀頃、武蔵国、安藤駿河守隆光(のちに源海上人と呼ばれる)が親鸞聖人に帰依し、鎌倉南倉田荘に一寺を建立し、長延寺と号す。これが善勝寺の始まりとなる。
甲州移住
戦国の世、長延寺は北条氏の軍兵に焼き討ちされ、住職実了は本尊と共に甲府に移り、武田信玄の帰依を受け、寺領を寄進され、甲府に落ち着いた。
現、東本願寺甲府別院光澤寺。
飯田への道
16世紀後半、織田信長の甲州攻めにより、寺は兵火に包まれ、実了の次男、祐了は、本尊を奉じて武田氏と運命を共にし、諏訪、宮田の各地に移り、優れた教化によって数多くの念仏者を各地に生み出し、下伊那に入った祐了は地元の豪族別府下井氏の帰依を受けて、高松の地の天台宗善勝寺に入山し、寺を真宗に改めた。(現在の飯田女子高等学校の位置)
やがて16世紀末、飯田領主毛利守秀頼の政策で、現在の伝馬町に移住、龍臥山善勝寺と称するようになった。
現在の本尊、阿弥陀如来像、、真宗七高僧像、聖徳太子像、は、鎌倉から護られてきた遺産である。